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子供が結婚することになり、同居したいという話になった。
私達と義父母と住んでた家なので同居はできるのだけど(二世帯住宅ではない)、87歳動ける軽い認知症の義父がいて、私達は1階をほとんど使わず、2階で過ごしている。
ので、その2階にこどもら夫婦が入って一緒に生活となるとそれは狭い。
とのことで同居はなしで話はすすんでる。

動ける認知症の義父、お前さえ居なければ💢💢、建て直しかリフォームで完全二世帯住宅にできるのに。
いつ死ぬかわからないので、先の予定も組めず😭😭
死ぬか、動けなくなって施設でお世話になるか、さっさと人生を終えてください。

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なんで家族で遊びに行ってる所に現れて後ろから見てるの?
ストーカーなの?
旦那にどこにいるか聞いて来るのなに?
バカ正直に居場所教える旦那もカスだけどよ。
お前は家族じゃないから参加しないで?
心からウザい。キモい。
あー、早く消えて欲しい。
もう血管破裂するか詰まるかしてしんでほしい。さよなら◯◯き。

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 🌟病院勤めのカミさんが夜勤の日には、クソジジイ(義父:98歳)に晩飯という名のエサを、至極早めにくれてやる。たった一人でモソモソと、かつ卑しく舐めるように食い終われば、あとは呆けたバカのようにテレビを眺めて、時間になれば勝手に寝床という名の自分の巣に帰っていくのだ。
 とにかく、奴には可能な限り絡まずに、接触したくないので、勝手に食わせてとっと片付けてしまう。そして、視界から消え去って後に、やおら晩酌の肴を拵え始めるのだ。そうして、バカが居間に移動してから、ゆっくりと杯を傾けて、優雅な晩餉を楽しむという算段だ。この段取りは外すことができない。

 🌟カミさんが在宅の日は、さすがに(ジジイの)実娘が料理するので、娘婿のオレとて、野郎と同席のテーブルに付かざるを得ない。がしかし、こやつと会話などするつもりは毛頭ないので、イヤホンを耳に装着し、iPadでTverやprimeビデオを観ながら一人晩御飯を楽しむことにしている。
 義親とは、かなりの以前から家庭内別居で、それは(昨年暮れに95でくたばった)クソババアが生きていた頃からのこと。不本意な同居が開始されると同時に、オレはこの義親に対して強い嫌悪感を抱き始め、それは次第に憎しみの感情を伴い、オレの中で増殖していき、強度の疎ましさと拒絶感情へと発展していった。

 🌟ババアが目出度く逝き、残るは、この臭くて汚い、金にケチな百歳ジジイを殲滅すれば、万事が完結するのだが、なんともコイツの太々しいほどのしぶとさに手を焼いている。とにかく、ちっとも弱らないのだ。まともなジジイなら、とっくに耄碌して右も左も分からないような、終末状態になるのが常道なのに。
 このクソバカ野郎は、何がどう作用して今もって平常態勢にて日常生活を維持しているのか、まったくもって不明。目が腐ってしまうので極力視線を向けぬよう留意はしているが、時に、憎悪の念を照射する必要から、このクソ野郎を睨みつけることがある。その際に気付くのは、こいつの形状形態が、数年前からあまり変化していないという事実だった。

 🌟もしかしたら、目の先のクソジジイは、ゾンビなのではあるまいか?実態は既に数年前に滅びており、何がしかの猟奇的復活呪術によって、死したまま肉体のみがこの世に存在し続けているのではあるまいな?臭いのはそのせいか、あるいは物事にまったく頓着しないのも、ひょっとしたら人としての形はとっていても、オレたちが見ているのは、その皮一枚の下に、ドロドロに溶けだしたタンパク質と脂肪が、グジュグシュした対流を成していて、それが動力源となり、起居をはじめとした、まともな人間のごとき擬態を起動せしめているに違いない。

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 なぜ死なぬ?なぜまだ生きたい?百年も生きて、まだ満足できないのか?他人の迷惑考えないのは何故?いつまでたっても弱らないのは何のつもり?そこまでしてこの世にしがみつくのは、いったい何が目的なの?お前の教え子たちは次々と己の寿命に得心して黄泉の国に旅立っているというのに、元教師である己が彼らの潔さに学ばぬのは恥ではないのか?面の皮の千枚張りとはテメーの事だとまだ気づかないのか?

 お前の尋常ならざる長命を誰が喜んでいるの?ボケないのはいい、認知にならないのも感心だ、糞尿漏らしが無い(下穿き一週間穿きっぱなしはおぞましいが)のは有難い。エサ(食事)が食いたいと喚き叫ばないのは猫たちより殊勝でほめて遣わす。金にケチなくせに食い意地が張るのは、貧しい戦中派ゆえと、敢えて許容してやろう。メシ時以外は自室(和室八畳)に籠りきりなのも評価できる。
 だがな、お前の最大の罪、最高にて最悪な勘違いは、いつまでもあの世に向わぬことだよ。もっと世を儚(はかな)む術も心得よ。無駄に歳ばかり重ね過ぎたのは、魯鈍ゆえの不可抗力と寛容せしめてやらぬでもない。

 とはいえ、まともな人間ならば、正真正銘の生き物だというのなら、もっと言えば、人の痛みが感知できる常人な神経を有する哺乳動物であると主張したいのなら、即刻、自裁して見事に果ててみせよ。ゴキブリ、地ネズミ、ウジ虫野郎なんぞでは決してないと抗弁したいのなら、明日死ね!明朝儚くなれ!夜明けとともに三途の川を渡れ!言い訳する前に地獄に落ちろ!御託を並べる暇があったら癌を発症して全身に転移させ給え!

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弱る気配がない義父
訪看に対する態度がひどすぎ。

訪看「◯◯さん、お風呂の日ですよ」
義父「一人で入れます。帰ってください!」
訪看「温まってきれいにしましょうね」
義父「顔近付けて喋られたらおたくの口がくさい。もっと離れて喋って」

もう私呆れてなんてこと言うねん!?って。
アンタのこの部屋のほうがクサいやんか、ってジジイに言ってみたけど聞こえてないよね。

訪看さんの帰りがけに謝ったら
「大丈夫です。ありがとう、って言われる方がびっくりするんで」
なんて話されて帰られました。

いやもう人として終わってる。
実際一人なんかで風呂入れんから結局お世話していただいてるのに。
いつものごとくありがとう、の感謝も言えないクソジジイ。
もう早く早く死んでくれ。
お前なんか誰も生きることを望んでいない。
こっちも間に立って気を使う。

嫌すぎる。

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 クソジジイ(義父:98歳)は、今日も死んではくれなかった。それどころか、相変わらずピンピンして、耄碌せず弱った様子も見せず、見た目には七十代にしか見えない。もう、驚きを越えて、空恐ろしい限りだ。
 このサイトの、多くの老害被害者たちが、共通して感じるのは、自分達を苦しめるジジイ&ババアどもが、どうしていつまでも死神のお迎えが来ないまま、当たり前のように生き続けられるのか?という摩訶不思議な理不尽さだろう。
 クソジジイが皮膚がん、脳梗塞、コロナという、致命傷にもなり得た病を振り切って、未だに愚図愚図とこのよに存在しているのは、単に強運だとかいうよりも、何か無茶苦茶な得体の知れないなにものかによって、強引に生かされているのじゃないだろうか?
 クソのひとつにも役に立たず、誰一人として、こいつの長命を寿ぐ人間がいないにも関わらず、いつまでもいけずうずうしく死なずにおれるのは、人知を超越した魔界の手先が、傍若無人を堅持しつつ、どこまでこの世にノサバレルものか、試しているに違いない。
 
 そうでもなければ、百年も生きてなお、普通以上に三度飯が食らえて、散歩にまででようとする活力を維持しているなんて、とうてい信じがたいことだ。普通じゃないし、まともでもない、あり得ないし、荒唐無稽の怪奇現象だある。
 それでもワタシは、無駄とは分かりつつ、日々せっせとこのサイトに、あのクソ野郎に向けた悪口雑言と呪詛の言葉を書き連ねることを止めようとはしない。
 Death Note様の効能は疑うことなく現存し、実効の成果を見せてくれているのだから。この憎しみのエネルギーが、超常現象のごときクソジジイの壮健さを打ち破り、晴れて満願成就となることを、強く強く固く固く信じているのである。

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 このサイトにおける、我々同志の怨嗟の標的たる義族(= 義という、不合理なしがらみで存在する輩たち)どもは、どういう訳か、自分たちに向けられている(陰ながらの)悪口雑言や恨みつらみに、全くと言っていいほど無頓着かつ無関心である。
 どれほどの、深く根深い辛辣な怨念を照射しても、一向に怯(ひる)む様子が無く、のほほんと平常生活を繰り返しているように見える。あまりに手ごたえが無いから、もしかしたら我々の呪詛活動は無意味なのかと疑心暗鬼になってしまう。
 
 しかし、ご安心あれ。サイトトップページに表記される、「今月あの世送りとなった親族数」を見ればこのDeath Note様は、確実に堅実に、野郎どもを三途の川向こうに放逐(ほうちく)せしめているのである。
 かく言う私も、昨年末に、このサイトにせっせと書き続けた、恨みつらみの調伏(ちょうぶく)の効能を持って、目の上のたん瘤だったクソババア(享年95)を葬ったばかりである。残るは、悪どく渋太いクソジジイ(義父:98歳)とばかりに、日々せっせとこのサイトにて、野郎に対して罵詈雑言を浴びせまくっているところである。

 とは言うものの、現実世界では、奴らの寿命の終焉は、そこに向かう進度があまりに牛歩であるため、時に悲観的になり焦燥感にかられることもあるだろう。そんな中、私はある考えにたどり着いたのだ。それはつまり、このDeath Noteさまの効力が、強力な抗炎症作用と免疫抑制作用を発揮して疾患にアタックする「ステロイド剤」とは違う「漢方薬」なのではないかということだ。
 病気にかかっている人の状態を、体質、病気の状態、環境などを含めたさまざまな角度からとらえ治療する「漢方薬」は、地道で継続的な服用によって、じわじわと効能を発揮する。

 つまりは、相変わらずのピンピンぶりで、まったくクタバル様子のない、我が家の寄生虫のクソジジイも、もしかしたら、すでにその体内において、漢方的Death Note様の地雷が、起爆装置を起動させ始めているかもしれないのだ。地獄の餓鬼の如く三食貪り食いながらも、その栄養素はクソジジイの体内組織には有効吸収されず、ほとんどが糞として排出されているのかもしれない。
 あるいは、日に何度も発するやかましく耳障りなクシャミも、ひょっとしたら、心臓麻痺を誘発するための予鈴(よれい=ある事が迫っていることを知らせるために鳴らすベル)なのではないか。

 なあに、焦ることは無いのだ。長い間苦しめられたきた憎しみの意趣返しを、このDeath Noteにて、継続かつ着実に書き込み続けてさえいれば、必ずや私たちを悩ませているゲス野郎どもの息の根はとめられるのである。
 

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 今日もクソジジイ(同居義父:98歳)は、やはり死ぬことは無かった。大切な愛しい者なら、一日でも長くと願うのに、どうでもいい、自分にとって、何んの意味も価値もない野郎だけが、つらーーとした間抜け面で、いつまでも生き永らえている、この冷徹な現実。なぜ?と理由を尋ねても、誰も答えてくれないし、奇跡のような僥倖も起きはせず、無意味な毎日が、ただ繰り返されるだけ。
 野郎が、本当に人間であり生物であるならば、必ず尽きる寿命があり、当然のように訪れるべき「死」というものがあるはずなのに、どういう理由で、その当たり前がやって来ないのか。もっと簡単に、ごくありふれたきっかけで、奴が昏倒して、そのまま息絶えても良いようなものだが、一向にそういうシチュエーションは起動の気配を見せてはくれない。

 直近で暮らしているだけに、否が応でも、野郎は視界に入り込んでくる。座敷牢にでも押し込んでしまえれば、煩わしい接触も避けられ、奴の生存痕すら感知せずに済むのに。野郎も便所に通い、無駄飯三度も食らうし、ぜいたくにもテレビなど視聴し、いけづうづうしくも茶菓まで手にする。
 すべてが、まったく無駄で無価値、かつ甲斐の無い徒労の所業であると、私は断言する。なぜなら、もはや野郎は、人として必要以上の、要するに余分な生存期間を超過しすぎてもなお、居座り続ける「モンスタークソジジイ」なのだから。あの世からのお迎えはとっくに到着しているのに、ただをこね、難癖を付け、訳の分からない屁理屈でこの世に居座っている、化け物野郎に他ならない。

 どうにかして、このクソ野郎が、とっととクタバラナイものかと熱望している。このサイトでの悪口雑言で、とりあえず溜飲が下がるものの、それでは物足らないし飽き足らず、もっと強力な怨嗟の放射はできない物かと、日々思案しているところです。
 

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 兎にも角にも、百年も生き続けている、ウチのクソジジイ(同居八年の義父)が今日もピンピンしているのが、腹立たしくかつおぞましくて仕方ない。このサイトの同志たちのほぼ100%が、義族(= 義という、不合理なしがらみで存在する輩たち)の“即死”を熱望しているが、当の本人どもが、一向に弱りもせず入院もせず、一向にクタバル気配がないことに、この世の理不尽さを越えて、なんだか怪奇現象のごとき不気味さを感じてしまう。

 なぜいい加減に死なぬか、どうしていつまで生きていられるのか、なにゆえそうまでして奴らを生かしているのか、どこの誰の差し金で、こげな無用の長物がクダクダこの世に居残り続けているのか。
 考えれば考えるほど不思議でならない。何のことは無い、奴らと同居することがなく、日常においてやつらと接触する必要さえなくなれば、今の悩み苦しみのほぼ80%は雲散霧消してしまえるのだ。
 なにしろ、(ウチのクソジジイはじめ)奴らは甲斐性無しの貧困貧民穀つぶしゆえ、自力で生計を立てる術も持たず、その才覚もないので、唯一の拠り所である“義”を頼って、寄生虫のごとくへばりつくしか生きる当てがないのだ。

 義に取り付くことが、あたかも自然の真理、ごく当たり前の権利のように、その特権を主張して依存してくるが、そもそも繊細なデリカシーなど皆無なので、嫁や娘婿という立ち位置の人が、そいつらを毛虫のように忌み嫌い、この上ない悪口雑言で責め立てていることに、全くと言っていいほど気づいていない。

 ジジイは散歩から帰ると、馬鹿の一つ覚えのように「ただいま戻りました」とか言っているが、だれ一人として、それに呼応する家人はいない。なのに、虚空に向って二度も三度もお決まりの文言(もんごん)を繰り返すという愚かさ。虚しくならないのだろうか?自分がそれほど毛嫌いされていると思い至ることはしないのだろうか?たわけた木偶の坊でもあるまいし、もういい加減悟れよ!

 うら寂しく、孤独で侘しい末期の暮らしを、その呆けた脳みそはどのように解釈して納得に至っているものか…。皆目見当がつかない。まともな頭の持ち主なら、周囲からの疎外感に苛まれて、自己嫌悪に陥り、自虐の粋を尽くして、自死して果てるモノもいるだろうに。こいつらと来たら、そういう人間らしい尊厳さえも持ちえないのか、低能低級なケモノレベルの思考で、ただただのんべんだらりと日数(ひかず)だけを重ねている。

 願うはただ一つ、こいつらが一日も早く、我々の目の前から消滅して記憶もろとも抹消されることだ。使用済み核燃料の残存年数(10万年)ほどではないにしろ、義族たちの肉体が滅んでも、その残臭や身の回り品を限りなくゼロに近づけるのは至難の業だ。精神的負担はもとより、その処分にかかる費用も半端ない。可能な限りの方策手段をもって、臭くて気味が悪く、おぞましいクソジジイの痕跡を根絶やしにしなくては気が済まない。

 ああああああああ!いったいいつになったら、このクソジジイはくたばってくれるんだよ――――――!

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 クソジジイ(義父:98歳)といえども、生物には相違なく、いずれ寿命尽きて灰になる訳だが、我々の苛立ちは、そのプロセスがあまりに緩慢で悠長すぎる、ただその一点なのである。
 一日も早くクタバレと、このサイトの善良なる良民が願っていても、当の義族(= 義という、不合理なしがらみで存在する輩たち)は、どこ吹く風とばかりに、今日もまた目覚め、無駄飯を食らい、のほほんと生き永らえる。
 ジジイが弱りもせず、入院はおろか施設送りにもならないのは、まぁ仕方がないとしよう。こいつのしぶとさは、たまたまそういう星のめぐりあわせで、そうなっているのだから。
 当の本人とて、百年も生きられるとは思ってもみなかっただろうし、これほど周囲から、無用の存在として、己が生き続けることを、誰一人として喜んでなどいない自覚出来てはいても、自ら命を絶ち、潔く自決するなどという勇気は持ち合わせていないだろう。
 現在、娘婿たるオレは、こいつに絶縁宣言を突き付けており、関係の冷え切った熟年夫婦よろしく、家庭内別居を貫き、いっさいの会話を行っていない。互いに存在していることを視認してはいても、至近距離での接触はおろか、同居人としての関りは冷徹に徹して一切断絶させている。
 視界に入るクソジジイの姿かたちは、単なる無関係などこかよその馬鹿野郎であるし、しつこく繰り返すクシャミに陰ながら悪態をつき、事あるごとに“死ね!クソジジイ”と呪詛の言葉を投げつけている。
 効果のあるなしに関わらず、ただひたすら一個の生き物の消滅を願って怨嗟しつづけるのは、もはやある種の快感を伴って、デフォルトのルーチンワークとなっている。 
 こいつが、もしも、突然死などと言う僥倖の出来事であの世行きとなれば、アドレナリンおよびドーパミン物質を一気に放出して、歓喜に打ち震えつつ、喝采の喚起の中で喜びの歌を高らかに吠えたいと思っている。