自分がそれほど毛嫌いされていると思い至ることはしないのだろうか
兎にも角にも、百年も生き続けている、ウチのクソジジイ(同居八年の義父)が今日もピンピンしているのが、腹立たしくかつおぞましくて仕方ない。このサイトの同志たちのほぼ100%が、義族(= 義という、不合理なしがらみで存在する輩たち)の“即死”を熱望しているが、当の本人どもが、一向に弱りもせず入院もせず、一向にクタバル気配がないことに、この世の理不尽さを越えて、なんだか怪奇現象のごとき不気味さを感じてしまう。
なぜいい加減に死なぬか、どうしていつまで生きていられるのか、なにゆえそうまでして奴らを生かしているのか、どこの誰の差し金で、こげな無用の長物がクダクダこの世に居残り続けているのか。
考えれば考えるほど不思議でならない。何のことは無い、奴らと同居することがなく、日常においてやつらと接触する必要さえなくなれば、今の悩み苦しみのほぼ80%は雲散霧消してしまえるのだ。
なにしろ、(ウチのクソジジイはじめ)奴らは甲斐性無しの貧困貧民穀つぶしゆえ、自力で生計を立てる術も持たず、その才覚もないので、唯一の拠り所である“義”を頼って、寄生虫のごとくへばりつくしか生きる当てがないのだ。
義に取り付くことが、あたかも自然の真理、ごく当たり前の権利のように、その特権を主張して依存してくるが、そもそも繊細なデリカシーなど皆無なので、嫁や娘婿という立ち位置の人が、そいつらを毛虫のように忌み嫌い、この上ない悪口雑言で責め立てていることに、全くと言っていいほど気づいていない。
ジジイは散歩から帰ると、馬鹿の一つ覚えのように「ただいま戻りました」とか言っているが、だれ一人として、それに呼応する家人はいない。なのに、虚空に向って二度も三度もお決まりの文言(もんごん)を繰り返すという愚かさ。虚しくならないのだろうか?自分がそれほど毛嫌いされていると思い至ることはしないのだろうか?たわけた木偶の坊でもあるまいし、もういい加減悟れよ!
うら寂しく、孤独で侘しい末期の暮らしを、その呆けた脳みそはどのように解釈して納得に至っているものか…。皆目見当がつかない。まともな頭の持ち主なら、周囲からの疎外感に苛まれて、自己嫌悪に陥り、自虐の粋を尽くして、自死して果てるモノもいるだろうに。こいつらと来たら、そういう人間らしい尊厳さえも持ちえないのか、低能低級なケモノレベルの思考で、ただただのんべんだらりと日数(ひかず)だけを重ねている。
願うはただ一つ、こいつらが一日も早く、我々の目の前から消滅して記憶もろとも抹消されることだ。使用済み核燃料の残存年数(10万年)ほどではないにしろ、義族たちの肉体が滅んでも、その残臭や身の回り品を限りなくゼロに近づけるのは至難の業だ。精神的負担はもとより、その処分にかかる費用も半端ない。可能な限りの方策手段をもって、臭くて気味が悪く、おぞましいクソジジイの痕跡を根絶やしにしなくては気が済まない。
ああああああああ!いったいいつになったら、このクソジジイはくたばってくれるんだよ――――――!





