直近で暮らしているだけに、否が応でも、野郎は視界に入り込んでくる

デス書き込み

 今日もクソジジイ(同居義父:98歳)は、やはり死ぬことは無かった。大切な愛しい者なら、一日でも長くと願うのに、どうでもいい、自分にとって、何んの意味も価値もない野郎だけが、つらーーとした間抜け面で、いつまでも生き永らえている、この冷徹な現実。なぜ?と理由を尋ねても、誰も答えてくれないし、奇跡のような僥倖も起きはせず、無意味な毎日が、ただ繰り返されるだけ。
 野郎が、本当に人間であり生物であるならば、必ず尽きる寿命があり、当然のように訪れるべき「死」というものがあるはずなのに、どういう理由で、その当たり前がやって来ないのか。もっと簡単に、ごくありふれたきっかけで、奴が昏倒して、そのまま息絶えても良いようなものだが、一向にそういうシチュエーションは起動の気配を見せてはくれない。

 直近で暮らしているだけに、否が応でも、野郎は視界に入り込んでくる。座敷牢にでも押し込んでしまえれば、煩わしい接触も避けられ、奴の生存痕すら感知せずに済むのに。野郎も便所に通い、無駄飯三度も食らうし、ぜいたくにもテレビなど視聴し、いけづうづうしくも茶菓まで手にする。
 すべてが、まったく無駄で無価値、かつ甲斐の無い徒労の所業であると、私は断言する。なぜなら、もはや野郎は、人として必要以上の、要するに余分な生存期間を超過しすぎてもなお、居座り続ける「モンスタークソジジイ」なのだから。あの世からのお迎えはとっくに到着しているのに、ただをこね、難癖を付け、訳の分からない屁理屈でこの世に居座っている、化け物野郎に他ならない。

 どうにかして、このクソ野郎が、とっととクタバラナイものかと熱望している。このサイトでの悪口雑言で、とりあえず溜飲が下がるものの、それでは物足らないし飽き足らず、もっと強力な怨嗟の放射はできない物かと、日々思案しているところです。
 

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