私はあなたの親ではないので、面倒を見る法的義務はない デス書き込み 依然として糞義母に悩まされる日々が続き、皆さんの投稿を見ては頷く日々…そこでふと考えてみました。超高齢化に備えて介護を家庭内で抱えることに限界が見えてきたため「介護の社会化」を目的としてできたはずの「介護保険制度」。この介護保険制度ができてからもうすぐ4半世紀を迎えようとしています。ところが我が家を含め多くの方々が1980年代半ばまで続いていた「老親扶養を子どもとして当然の義務」という考え方。一見根拠のあるようなこの考え方ですが、実は全く根拠のない理屈。厳密にいうと、老親に対しては自分たちの生活を犠牲にしてまで金銭的な負担をする必要はなく、ましてや同居については拒否する自由もある。なので、私は自分の親に対しては、こういった話をし、説得を重ね、同居を拒み、今は完全に別居となり、お互い干渉しない生活となりました。問題は、妻の母親(ここでいう「糞義母」。)です。この糞義母に対してはこのような理屈は通用せず、漠然とした根拠のない「年老いた親の面倒を見るのは子どもとして当然の義務」というのが前提となっているよう(?)ただ言わしてもらうが、私はあなたの親ではないので、面倒を見る法的義務はない。なのに義務のないことを強制するのは強要ではないのか…ところが、こういった常識が通用しないのが糞義母。恐らく皆さんも同じ状況だと思いますが、極論、「バカは死ななければ治らない」です。なので、結論としては、「バカである糞義母は死ねばいい」なんです。この考え方のどこが間違えているのか。残念ながら「きれいごと」(笑)の好きな人たちは「今ご高齢の方々は戦時中の大変な時期を乗り越えて日本の屋台骨を作ってきた人たちです。その方々をあなたたちは慰労しないのですか?」という根拠のない同調圧力で私たちを苦しめます。つまり、私たちは、糞義母はもとより、「きれいごと」(笑)の好きな人たちからの同調圧力によって苦しめられているわけです。一日も早くこの苦しみから抜け出したいです。 602312024/10/26(土) 8:56:410